取材をする側に回ってそれなりに経ちましたが、取材を受ける側という設定になったのが4月27日に公開された以下の記事です。

AERA dotの「GWに行くべき廃線間近の路線、奇跡の復活を遂げた鉄道」

最初の原稿では肩書きが「元慶應鉄研代表」になってたので、「そそそれだけはご勘弁を」と懇願しました。
AERAとかかわるのは2010年の春以来です。
当時は「美人すぎる鉄研代表」という、おそろしいコピーが付いていたのでした。
「美人すぎる~~」はあの頃流行っていましたね。

インタビューする側に慣れきっていたところで、今回のようにされる側の気持ちを学ぶ機会を得ることができ、いろいろと大変お勉強になりました。